国の骸

炎の蒼


 風も空もいつもよりずっと美しく、たまらなく悲しい。
 あまりに深くて、あまりに虚ろで。
 風も空もいつもよりずっと美しく、だからこそ悲しい。
 横たわる唖たちは、やがて物云わぬ鬼となる。
 死を司る者(ヤーマー)が全き死へと導かぬ限り。


  1、国の骸(むくろ)


 千夜一夜(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)312年、コラサン滅亡―――……。

 谺(こだま)すらかえさぬ空は青い。ただ―――青い。
 朝まだき、ようやく陽は昇りはじめ、刻一刻と空は青さを増していく。辺りに広がるのは、白い煙、白い灰―――白い瓦礫の山と、白く焼け焦げた永遠の唖(おし)たちが、絶対的な死の中に密かに横たわっている。
 その中を2人の兵士が何かを探して歩き回っていた。手に松明を持っているが、大部分が燃え尽きてしまっている。もうすでに何時間も探し回っているのだろう。その動作は緩慢で、真剣に探しているようには見えない。
 若い方の兵士が、ふと呟いた。
「…もう、誰もいないんじゃないか?」
 隣を歩くもう1人の兵士が、顔に諦めの色を浮かべた。
「だが、死体でもいいから見つけろとの仰せだった。見つかるまで探すしかないだろう」
 若い兵士は不満そうな溜息をもらし……不意にある思いにとらわれて口を開く。
「なんで、あんなに怖がるんだろうな?」
「……何の話だ」
「だって、たかが子供1人、放っておいたって特に何か起こすわけでもないだろ」

 問われた兵士はうんざりと呟く。
「あの方が脅威だと考えてる以上は探すしかないのさ。どんなにくだらなく思えようが。……さっさと探すぞ。お前だって首を飛ばしたくは無いだろう」
「へっ。俺としちゃ諦めてくれることを願いたいね。死体の瞳を1つ1つ調べてくなんて――――面倒くさいし気味が悪いし、しかも夜にしかできない仕事ときやがる。大体、まっさきに逃げるべき立場の人間が、ここで死んでるって考えるほうがおかしいんじゃないか?」
「……………」

 もうひとりの兵士は黙ってしまった。
 やがて、若い兵士はぽつりと呟いた。
「朝だ……帰るか」
 そして2人は国の骸から遠ざかる。だんだんと姿は小さくなり、ついには見えなくなる。
 …風が、吹き過ぎていった。何もかもが焼け、灰と化した国の上を。



 不意に、焼け残り、揺るぎなく建っていた壁の横の瓦礫が動いた。内からかきわけられ、1人の少年が姿を現す。
 年の頃は15、6。同じ年頃の少女とも見まごう、秀麗な顔立ちの少年だ。胸の下ほどまである長めの青みがかった黒髪は、ところどころが焼き切れている。焼け焦げのある衣服は、簡素ではあるが元はかなり上質のものだったようだ。……装身具といえるものは右手首にした銀環だけである。一面にびっしりと細かい紋様がほどこされた青い環は、陽の下にて銀に輝く。
 先ほどの兵士達が探していたのはこの少年なのだろうか。
 黒い大きな瞳が辺りを心配そうに見回し、誰もいないのを確認して、わずかに安堵の色を浮かべる。が、辺りの惨状を見てとってすぐに青ざめてしまった。
 コラサンは美しい国だった。濃く、豊かな緑の中に溶け込んでいく街並みと、水の恵み深い果実の国。
 ―――すべて消えてしまった。炎がすべてを呑みつくし、白い灰に変えてしまった。
 少年の見開いた瞳が、不意に蒼(あお)く染まった。突き抜ける空の青を映してとじこめた海、そこに揺らめきたつ、炎(かぎろい)の色に。瞳に映す感情は何だろうか。悲しみか?それとも……。
 だがそれも一瞬のこと、みるみる溢れ出した涙で色はぬぐわれ、途方にくれたような黒い瞳を持つ少年は、自分の這い出た穴に再びもぐりこんだ。
 ややあって姿を現した少年は、布の袋と、何か植物の塊のようなものを持っていた。もう、彼は泣いていない。
 どきりとするほど大人びた、冷めた瞳をしている。
 少年はそばの瓦礫に腰掛け、その手の中の植物に囁きかけた。
「アルス=リィオン」
 途端に植物はざわざわと動き、内包していたものを光の下にさらした。精緻な紋様が一面にほどこされている、3本の金属環だ。
 少年が右手にしているものとは紋様が違う。彼のものが文字のような角を持った紋様なのに対して、今現れたものは、植物のようなうねりを持った曲線の紋様である。
 少年は白い環を取り出し、右手にはめた。青と白の2つの環が触れあい、ちりんと微かな音をたてる。
 次に彼は残る2つの銀環を取り出し―――逡巡の後、左手にはめた。
 途端、植物の箱は光に溶けるように姿を揺らがせ、緑色の砂となって、足元に降り積もった。
 少年はしばらく砂を見つめていたが、はっと顔をあげた。
 袋の中から頭布(ターバン)を取り出し、巻こうとする。が、自分のところどころ焼き切れた髪を見て手を止め、短剣を抜いて、ためらいもせずに髪を肩口で断ち切った。青みがかった黒髪は、緑の砂の上にはらりと落ちた。


 ……少年は身支度を整え、呟く。
「……コル・ラーナス・アルン…眠れ」
 そして、振り返らずに国の骸を後にした。

 ―――やがて、砂から炎がたちのぼった。音も無く、緑色の炎は髪を焼き、白い灰へと変えていく。
 風がひとつ吹き、少年の痕跡をすべて消し去っていった。



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