一瞬の永遠、永遠の一瞬

四神
幻夢譚

 玲(リン)と静(ジン)はしばし談笑していたが、――静が、ゆらり、と突然座を立った。ほんのり紅く色づいた頬をして、ずいぶんとなまめかしい風情である。
「静老大(ジンラオター)、いずこへ?」
「少し…風にあたってくる、酔うたようなので、の」
 ほろりと笑うと、すべるように静は桃園の方へ向かった。


 青い桃の樹はシン、と立っている。宴のざわめきはだんだんと遠ざかり、時折りそよぐ風にのって届く。
 ふぅー…と息をつく。青い空気がふわりと揺らいだ。――と。
「静哥々(ジンココ)!」
 ぎゃあ。そんな心境で振り返る。はたして――いた。
「…望(ワン)。うっ」
「あああ静哥々――!会いたかった!!」
 ぎゅわ、と抱きしめられてげんなりとする。
「望…。天帝陛下がそう軽々しくてどうするのだ…?」
 大ボケたことを言っているような気はしたが、一応言ってみる。
「何をおっしゃいます、私と貴方の仲じゃあないですか」
「どんな仲だ」
「そりゃあ、恋…」
 バチッ!と稲妻のようなモノがはしった。
「痛!何なさるんですか静哥々ぉ…」
 涙目で訴える見目派手派手しくきらびやかな美青年。藍と翠の瞳が少し恨めしげである。
「望様。天帝陛下にはゆめゆめ軽々しく地の〈玄武〉のところにお出ましになりませぬようお願い申しあげます」
 ぎろりと睨んで静は告げた。
「…ったく…天帝ともあろう者が……これが地帝の開(カイ)ならともかく…」
 え!?と望が目をむいた。
「地帝ならば良い――と仰せられるか!」
「当り前だろう。大体、地帝はもとより吾(わたし)との協議が義務。それをそなたは用もないのに毎日毎日毎日毎日…月沙(ユエシァ)もそなたが天宮に居たためしがないとボヤいておるわ」
 ふと目が合ってしまった。ものの見事に望の目は据わっていた。
「……て、望、そなた、まさか」
「開と交代して参ります」
「望ッ!」
「交代して、晴れて地帝となって参りますとも!そうすれば念弟にもなって下さいますでしょう?」
「なっ…」
 真剣きわまりない目でそんなことを言うなバカ―――!!
「だからどうして吾がそなたに抱かれねばならんのだ!!」
「私が貴方と契りたいからですよ!!」
 大声できわどいことを叫びに叫ぶ天帝陛下と玄武の殿。…日常茶飯事である。
「もういい。もういい、吾が結婚すればいいのだろうそうだろう!」
 やけっぱち、とか破れかぶれ、とかの言葉の似合いそうな勢いで静は叫んだ。
「どうしてそうなるんです!?」
 ショックを受けたような表情で望も叫ぶ。
「吾が何千年も何千年も独身だから、そなたも先帝もそのような機会があると勘違いするのであろうが!」
「父上も言い寄ってたんですか――!?」
「はうっ!」
 ぱっと口をおさえたその仕草が、殺人的に可愛いらしかった。
「……大丈夫ですよ、結婚してたって諦めませんから」
 にこーと不吉な笑みを望は浮かべた。静はギリッと唇を噛んだ。
「……………そなたの念弟になるくらいだったらc(ユイ)と結婚した方がまだマシだ」
「わーそれマズイですよ静哥々。だって、朱雀と貴方、いったいどれくらいの年の差が」
「そなたと契るより七万倍マシだ」
 キッパリ言捨てた静に、望はヤレヤレというような仕草をして、口をとがらせた。
「わかりました。やっぱり私が天帝なのがいけないんですね」
「だから違うと…」
「貴方の為だったら不可能だって可能にしますよ、私は」
「いくらなんでも天帝として即位したそなたが、今さら地帝になるのは無理だ」
「――では、それが出来たらどうなさいます?」
「―――まぁ地帝となったのなら渾沌宮(こんとんきゅう)に入り浸る口実はできるというわけだな」
「だから、実現してみせたら?」
「ありえない」
「ありえます」
「黄龍が麒麟に、麒麟が黄龍に、そうほいほいと変われるのであったら吾はその当日にでもcと結婚するだろうよ」
「…おお、随分と大胆に否定なさる」
「ありえぬことならいくらでも言えるわっ」
「そこまで意地をはりなさるか」
「意地をはっておるのはどっちだ」
「……わかりました」
 凄絶――という表現がぴったりな笑みを望は浮かべた。
「誓いますね?私が見事地帝の位についた時には、貴方は朱雀と結婚する――と」
「…そなたにも吾にも得は何ひとつないな」
「ありますよ。地帝になったら渾沌宮立入り禁止令を喰らうってことだけはなくなるでしょう?」
「どうだか…」
「つんつんソッポ向きあった結婚式というものも見てみたくあるのでね!」
 ハハ!と笑って、望は優雅に一礼した。
「では静哥々。後ほどまた、お会いいたしましょう…」
 きらびやかな嵐のような青年が去っていくのを見やり、静はまた、嘆息した。
「ああ…やれ…」

「――誰が、誰と結婚…ですって?」

 ひんやりとした声がかかった。静は夢から醒めたように振り返る。
「c殿。いつから、そこに」
「貴殿(あなた)が天帝陛下にまとわりつかれた最初から」
 そこにいたのはたった今話題に上った〈朱雀〉、cその人。つんと頭を反らせ、背筋を綺麗に伸ばして、静を見ている。
「そもそも妾(わたし)がくつろいでいたところに貴殿方がおいでになったのです」
「それは悪いことをしたな。すぐに消えるゆえ、お気になさらぬよう」
 言うと、静は踵をかえして歩み去ろうとした。
「待ちなさい、玄武の殿。――誰と誰が結婚するですって?」
 重ねての問いに、静は観念したように息をついた。
「……吾とそなたが。――だがこれは決して起こらぬことの例え。ご案じなさるようなことは何もない」
 だいたい、そんなことになったら何たる責苦だ…。小さく呟いた言葉に、すっとcは青ざめる。
「………玄武の殿は、妾を妻とするのは不服と?」
 静ははっとしたように顔を上げ、……わずかに震えるcの唇を、怒りゆえと勘違いする。
「だから、――それは起こりえぬことの例えだと言うておろう」
「たとえでも何でも!…じじ玄武はちび朱雀ごときを娶るは耐えがたき屈辱だとでも?」
「そんな事は言っておらぬ!」
 静は困り果てたように叫んだ。
「よいか、すでに定まった命をおいそれには動かせぬ!天帝が地帝に、地帝が天帝にとその位を交代することなどあり得ぬ。あり得ぬのだ…」
「――では妾も誓言してさしあげましょう」
 呟くように彼女は言った。
「天帝陛下と地帝陛下――望様と開様がその位を交代することあらば――」
 ほとんど夢見るように、囁いた。
「妾は貴殿と結婚する、と――」
「……………」
 cはにこりとした。
「面白い賭けですこと!」
 ――風が。桃の樹をゆらがせて吹きすぎた。永遠のような一瞬――。
「…では、玄武の殿」
 ひらり、身を翻してcは去ってゆく。
「――ああ、朱雀の君」
 ぼんやりと応えて、青い林を出て行く姿を――見た。


「……静老大〜ァ」
 ―――と、元気のない声が後ろから飛んでくる。千客万来などと思いつつ振り返ると、しょげた〈白虎〉――祥(シアン)が、今にも泣き出しそうな顔で言った。
「老大……楓(フェン)、ひどいと思わねぇ?」
「楓…え…、何がどうしたのだ?」
 困惑する静に、ひょいっと顔を覗かせて、渾沌(こんとん)が――
「楓くん、真ちゃんの旦那サンになったんだってさ、玄武〜」
―――爆弾発言。



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