レグリア

炎の蒼


 朝の陽(ひかり) 乾いた大地 
 我らは旅への憧れに生き
 夜の月(ひかり) 姿変えの大地
 我らは道無き道を行き
 砂の泉 深い〈流砂(レグリア)
 我らは流砂と共に往く


  2、レグリア

 千夜一夜(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)314年、巡礼の月(ズー=アルヒッジャ)―――バクダット。

 商人の都にはあふれるほどの人が集まってくる。成功を、ただ、求めて。
 ここでの成功はどこでも認められる。さまざまな夢を抱く流れ者達が、今日も凌ぎを削って争っている。
 夕刻の祈り(マグリブ・サラー)も終わり、夜に向っていちだんと活気付く市場(スーク)―――。
賑わいの中を、1人の少女が歩いている。年は18か19。取り合わせの珍しい、赤銅にもみえる茶色のやわらかそうな髪と、金灰色(きんかいしょく)の瞳の持ち主である。
 可愛い、という印象をあたえるのは、どことなく幼さの残る顔立ちと、よく動く大きな瞳のせいだろう。だが、あと2、3年もすれば、見逃す者がいないほどの美人になる―――そんな雰囲気の娘、名をミスカーという。

 賑わいを楽しむような、独特のリズムを持った足取りで彼女は歩いていく。りり、り、と両の手足に幾重にも巻いた細い銀環が触れあい、耳に心地よい音を奏でる。
 ミスカーは今日、このバクダットに着いたばかりだ。
 歩きなれない土地を、物珍しげに歩いている。

 夕刻になると、バクダットには隊商(キャラバン)が大勢到着する。その中に、今日は1つ毛色の違ったのが混じっていた。
 それが、〈レグリア〉。〈流砂〉と名付けられた旅芸人の一座である。
 ミスカーはそこの舞踊士なのだ。
 ただの旅芸人の一座ならば、バクダットには連日、山のように来る。毛色が違うというのは、一座を構成する者が皆、コラサンの血を引く者だということだ。

 コラサンは3年程前に滅亡した〈果ての国〉。――西の果ての〈果実の国〉の人々は、白い肌に淡い色の髪と瞳の、他の大陸から来た者を始祖に持つ。この大陸の者はたいてい象牙、または褐色の肌に暗い髪と瞳を持つが、コラサンの者と交わった場合、必ずどこかにコラサンの特徴が現れる。それは髪や瞳であったり、肌の色がどことなく違う、といった風に現れるのだが、レグリアの者は皆、必ずその証を持っている。

 ……彼らは、幸運といえよう。〈レグリア〉は50人ほどの小さな一座ではあるが、一座として認知されている以上、人権もある。滅びた国の民は奴隷として売られるのが当たり前だし、コラサンの民は逃れたものが大多数である分、どこに行っても油断をすればすぐに奴隷商人に捕まる。まして、一目で解る特徴を持っているのだからなおさらだ。
 その心配が無いだけ〈レグリア〉はまだ良い方である。
 だが、滅びた国の者が楽に生きることなどできないのもまた事実。名は、少しでも売れていたほうが良い。いつか、コラサンを再び興そうと思うのならば。

 バクダットの市はいつもと変わらずに騒がしい。あと3日で年が明けるということもかまわず、わが道をいく都である。
 空には赤い月が眠たげに、のんびりと輝いている。踊るように歩いてきたミスカーが、ふと足を止めた。
 人波をぬって、澄んだ歌声が聞こえてくる。アラビア語(アラヴェート)でなく……コラサン語(コラセスト)の。
 ミスカーは、声の聞こえてくる方向に走り出した。

 歌声の主の周りには大きな人だかりができていた。ミスカーは首尾よくその中に潜り込むことが出来たが―――なにぶん彼女はかなり小さな方なので、周りに遮られて全く何も見えない。
 ……歌は、まだ続いている。
 ミスカーが何とかして見ようと頑張っていると、それに気付いたのかどうか、周りの人だかりが少しゆるみ、彼女を前の方に押し出してきた。それはいい。けれどその押す力が尋常でなく強いので、ミスカーはあやうく圧死しそうな状態で
(……あたし、誰かに恨まれてるのかしらん)
などと考えてしまった。

 ―――とにかく苦しい。何だかもう歌を聴く気力すら無くなってきた―――と、にわかに抵抗が少なくなり、次の瞬間、ミスカーは地にはいつくばっていた。
 歌がやむ。
 顔をあげれば、歌い手がこちらを鮮烈な蒼の瞳で見ていた。飾り気の無い白い仮面をつけているので表情は解らないが。
 ミスカーはあわてて立ち上がろうとして――――
 果たせなかった。
「…………痛っ……!」
 激痛が足にはしり、再びぺちゃんと座り込んでしまう。不覚にも涙が出そうになった。
 周りの人が寄ってくるように動きかけ……止まった。風がわずかに動き、目の前に影が落ちる。
「……立てないのか?」
 男とも女ともとれる高さの声が、涼やかに響いた。
「え……?」
 歌い手は身を屈めて、ミスカーのケガをした足に、ひやりとした手で触れた。熱を持ってみるみる腫れあがった患部は、どくどくと脈を打つ音を伝えている。
「捻挫か…」
 彼はそう呟き、にわかにミスカーを抱き上げた。ついでに自分の荷物も肩に掛け、慌てるミスカーに尋ねた。
「……家は?」
「え?あの……、今日着いた一座の、〈レグリア〉……」
「陽の広場?月の広場?」
「……月」
「ふーん」
 彼はミスカーを抱えてスタスタ歩いていく。動けない以上、運んでもらえるのは有難いのだが……知らない人についていっちゃいけませんというのはゲントでも当たり前に教えられる。ミスカーはどぎまぎして…問うてみた。
「あの……」
「何?」
「――――なんで助けてくれるの?」
 仮面の青年は口ごもって、やがて
「…俺にも責任が無いってわけじゃないから」
――そして続けてぽつり、と言った。
「故郷(くに)の人は助けなきゃ」
「…国?」
 彼は口の端で微笑み、うたうように言った。
「コラサン」
 ミスカーは息を呑む。確かに―――さっき彼はコラセストで歌っていた。
「じゃあ…コラサンの人なの?
 彼はきょとんとして、
お前もだろ?
当たり前のことを言うように、告げた。
そう……だけど。あたしは行ったこと無いから、いまいち……
ああ…だけど、お前――…
 彼は言葉を切った。漆黒の瞳が一瞬ぼうっとした。
名前は…?
あたし?ミスカー
へぇ。俺は、ア……
 そこでためらい、瞳をふせてしまう。
あ?何?
 彼は溜息と共に名を口にした。
――――ヤワン



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