〈レグリア〉の長バハルルはミスカーの叔父にあたる。一目でコラサン人と解る、陽だまりのような金に近い茶と灰色の瞳を持つ、茫洋とした印象の男である。彼は34歳。だが外見は20代前半ほどに見える……童顔なのである。
〈レグリア〉を創設した姉のソーニアが亡くなったのはバハルルが15歳の時。それ以来、ミスカーを育てながら長の仕事を着々とこなして、今ではまだ34歳とは思えないほどに尊敬されてたりする。
だがしかし、そんな彼の最大の悩みは自分の童顔。エセ眼鏡で外見年齢をプラスしようと試みてはいるが………とても成功しているとは言い難い。
まあ、それはさておき、現在バハルルは〈レグリア〉の天幕の中で雑務に追われつつ、帰ってこない姪を心配して気をもんでいた。
夕刻に出ていったきり、まだ帰ってこない。もう月も大分高くなったというのに……。
そう簡単にどうこうされる娘ではないのは解っているが、それでも若くて可愛い姪を父親代わりの叔父さんが心配するのは、至極当たり前の心理である。はっきり言ってしまえば、今すぐ探しに出掛けたいところだ。
残念ながら彼にはどっさり仕事があった。できれば年明けには興行を始めたい。そのためには今、ミスカーを探しに行って〈レグリア〉に長がいない状況を作り出してしまうと、非常に困るのである。誰か手の空いた人を探しにやらせようかと思ったが、男達は目が回るくらいに忙しいし、女達をやるなど、ミイラ取りがミイラになって帰ってこない…なんてことになりかねないので当然却下。さてどうしよう。
「あのさーバハルル、市場の方からいつ頃舞台決まるかって言ってきてるけど」
「あ、ああ…それだったら、ここらへんに…あ」
崩れ落ちる書類。散乱する紙。
「バハルル、夕飯いつ頃がいい?」
「男の腹の空き具合で決めてくれ。僕は何でもいいよ…」
そう答える間にも続々と人がやってくる。悠長に考え事などしている場合ではない。
そんなわけで、バハルルは仕事を再開した。まあ、何にせよこれ以上悪い状況にはならないだろうと思って。
馴染みの天幕が見えた時、ミスカーはものすごく安心した。別にヤワンを疑ったわけではないが、何せ初対面なのだ。少なからず緊張するのは当たり前だろう。
「……ところでさ、ヤワン」
自分の部屋まで連れて行ってもらって、ミスカーは言った。
「なんで仮面なんかしてるの?」
「…これか?」
ターバンをおろしつつ、ヤワンは仮面を差した。
「歌ってたからさ」
「…………は?」
ヤワンは辺りをちらっと見て、まぁ、いいか…と呟き、白い仮面を外した。
ミスカーは絶句した。
髪も瞳も青を含んだつややかな黒。肌は、コラサン人にしても白く、透いて緑がかって見えるほど。
そして何より、彼は眩暈がするほどの美貌の主であった。
「2年前からちょっと追われててな……見つかったら殺されるだろう」
ミスカーがぽかんとしている間に、ヤワンは自分の荷物からとりどりの液体の入った玻璃瓶や布の束やらを取り出していく。
「店を持つわけにもいかないし、かといって金は稼がなきゃ生きていけないしな。歌うのは、まあ良い考えだけどそれにしたって顔を覚えられたら困る。だからさ。―――はい、ミスカー、足出して。ケガした方」
「………え?」
?の渦巻いたままの顔でミスカーは大人しく足を出す。その腫れた足首のあたりに、ヤワンは色とりどりの玻璃瓶の液体に布を浸して、くるくると手際良く巻いていく。ひんやりとした感触が熱を吸い取っていき、先ほどまでの痛みが嘘のように軽くなった。
「……ねぇ、店って…どういうこと?」
珍しいものでも見るかのように手当ての様子を見ていたミスカーがそう訊くと。
ヤワンは乾いた布をさっきの布の上にざっ、と巻いて止め、
「俺、薬師(くすし)だから」
笑って応えた……。
――――薬師。つまりは医者である。
バクダットから北西に歩くこと一週間、どっかりと自己主張する岩山がある。……ノーク山地という。その中心部に愕くほど濃い緑を有する〈森林(クーリル)〉がある。そこが〈薬師の都〉トゥエヴンだ。
ゲントに薬師はわずか100人ほどしかいない。しかもそのうち半分ほどはトゥエヴンに残っている。外に出た薬師は、もちろん店を開いたりなどして仕事をするわけだが、一方トゥエヴンに残った薬師は何をしているのか。―――弟子を取るのである。
薬師の位は4つあり、知識の度合いによって決められている。すなわち、最も基礎的な知識を持った〈花(ヤイル)〉、それより少し知識が広くなると〈果実(ピリン)〉、その上には簡単な手術なら手がけられる〈雲(カイン)〉、そして最高位が〈星(トエル)〉である。
トゥエヴンには〈塔〉住みの薬師に弟子たち、〈家〉住みの薬師に弟子たちがいる。
普通、薬師志望者がトゥエヴンにやって来ると、簡単な試験の後に師を決める。最優先事項は「気が合うかどうか」である。場合によっては10年以上の付き合いで薬師の伎は伝えられる。気が合わないばかりに修行が進まないようではまったく意味がない。
師が決まると、薬師志望者たちは〈塔〉住みになる。自分の師のいる塔内で生活し、一対一の「応対」という授業を受ける。それとは別に時間ごとに公開されている「講義」という授業も塔のひとつで受けられる。全体と一つとをうまく利用して、弟子たちは勉強に励む。
トゥエヴンの外で薬師に勧誘され、その勧誘した人がそのまま師となった場合に〈家〉住みとなる。「応対」も「講義」も変わらないが、同じ家にほぼ一対一で師と弟子が暮らすので、師弟間の絆がより強くなる場合が多い。
そして定期的に試験がある。必ず全員が受けなくてはいけないものと、自らの師から出された課題をこなす、ふたつの試験だ。試験後には緊張のとけた弟子たちがおまつり騒ぎを繰り広げる。
トゥエヴンの中心〈時象牙(ときぞうげ)の塔〉で受ける試験は「位取り」の試験である。
〈花〉と〈果実〉は年に2回、〈雲〉は年に1回試験が行われる。〈星〉の試験だけが不定期に、受験者のみに日時を知らされて行われる。
自らの師に許可を貰い、弟子たちは〈時象牙の塔〉へ向かう。
〈時象牙の塔〉には薬師の元締め〈地上の星(アトゥーア・トエル)〉がおり、そこで試験に受かった弟子は薬師としての位をもらうか、さらに上の師について学ぶかを選ばされる。たとえば〈花〉の師について学び終えた後、さらに〈果実〉や〈雲〉について学ぶこともできるのだ。このように〈薬師の都〉は機能し、新しい薬師を育てる。その伎が途絶えぬように。
さて、外で仕事をしている薬師の数は『薬師に会う確率は「石、投げたらたまたま魔神に当たっちゃった」という事が起こりうる確率より低い』とか囁かれるほど少ない。だがその分、珍しいし、役に立つということで薬師は大抵の場所で歓迎される。しかもトゥエヴンは〈時象牙(ときぞうげ)の塔〉に〈時象牙(じしょうが)〉という機構を抱えており、もしどこかで薬師が殺されたとしたらその犯人を必ず罰するという意識を明らかにしている。
そんな〈薬師〉を追うものなどいるのだろうか……?
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