レグリア

炎の蒼


 …足の痛みは確かに少なくなったが、完全に無くなったわけではない。それを知ってか知らずか、ヤワンはミスカーに話し掛けている。気を紛らわすためか…それとも単なる好奇心なのか。
「舞踊士だったのか……悪かったな」
「え?」
「足さ。動かなければ一週間。動けば―――10日はかかる」

 何やらヤワンはとてもケガを気にしているようだ。別にヤワンは悪くない……わけでもないが……まぁ、本人に責任はない。と思う。
「ふぅん…?でも平気だよ、ヤワン。あたしはまだ興行できないし」
「……何でだ?」
「あたしは、歌でしか踊れないの。今、一座にあたしと合う歌い手はいないから―――もう5ヶ月くらいになるかなぁ―――踊ってないや」
「へぇ……」
 ヤワンは面白そうにミスカーを眺めた。
「見たいな。お前の舞」

唐突な言葉に、一瞬の後、ミスカーは笑って返した。
「いいよ。あんたが歌ってくれるなら。―――そうだ、さっき歌ってたのは何の歌?コラセストだったよね?」
 とたん、ヤワンは憮然とした表情になった。
「あぁ、あれは――まずった。お前が来たから中断できたが」
「どういうこと?」
「コラセストで歌うなんて…馬鹿なこと、したよ。気がついたら口ずさんでたのをちょっと聞かれて、仕方なく歌ってたんだが」
「…そうなんだ。でも、いいや。聞かせて。〈レグリア〉なら、誰も咎めないから」

 ヤワンは少しうつむいて、
「…そうだな」
答え、顔をあげた。



空に嘆く風がさす
静かに 砂漠が歌う
流る水の形の砂よ
我は共に流れ 流れ 流れゆく



 奏でる楽器はレベック。洋夜梨を縦に切ったような形をした、6弦の楽器である。


眠れる夜に旅を続けよう
月が示す道を追いかけ行こう
誇れる朝に高らかに謡い
陽炎揺らぐ砂漠を往こう

風よ
(クルー)・吹き過ぐ風よ(リクルール)
よどむ闇をはらうがいい
クルー・リクルール
わが心を運べ
約束の時に約束の地へと



 爪弾く弦の最後の音が長く響いた。その音がまさに消え去ろうとする瞬間、今度は激しく曲が奏でられる。先ほどとはがらりと違うが、主たる旋律は同じように聞こえる。


乾いた大地の炎
つきぬける空に響く音
砂は燃え 月の光
(ひ)は流れる
溶け合う世界を
遥か彼方へ旅する
故郷に帰る日まで

故郷に帰る日まで 長い永い旅を続ける



 最高音が響き、曲はゆらぐ静かな旋律に戻る。


眠れる夜に旅を続けよう
月が示す道を追いかけ行こう
誇れる朝に高らかに謡い
陽炎
(かげろう)揺らぐ砂漠を往こう

風よ
(クルー)・吹き過ぐ風よ(リクルール)
よどむ闇をはらうがいい
クルー・リクルール
わが心を運べ
約束の時に約束の地へと

クルー・リクルール
大空を飛ぶ鳥がただひとりきりでも辿りつけるように




 曲が終わる。
 ただひとりきりの客が、勢い込んで拍手をしていた。
 ヤワンはくすりと笑って『静かに』としめし、弦を―――――
 静寂。
 ビィンッ!
「うわぁっ!」
「だっ……!」
「痛てっ!」
「きゃ…」
「ええっ?」
「あ、ちょっと…!」
「あっ…!」

 多種多様の悲鳴をあげながら、老若男女様々な人々が部屋になだれこんできた。ミスカーは呆然としてその様を見ている。ヤワンは、
「おぉ、切れた」
のんびりと呟きつつ、頬骨の辺りににじんだ血をぬぐっている。
 人々はわやわやと喋りながらそれぞれに起き上がり、さらにさりげなく(無駄なあがきである)立ち去ろうとする。そこに、ミスカーの声が飛ぶ。
「……何なの?」
 人々はギクッとして止まる。20代後半くらいの艶やかな女性が振り向いて、
「あ、あのねミスカー、これは……」
「リーンド姉さんは黙ってて」

…説明しようとしたが、切り捨てられた。
「バハルル!」
 ミスカーは呼んだ。
「バハルル!いるんでしょ、叔父さん!」
 やがて人々をかきわけて、バハルルがやってきた。先頭で逃げようとしていたらしい。
「まあ、そう怒るな、ミスカー」
 ミスカーはにこにこしている童顔の叔父をぎろりと睨んだ。
「…怒ってない」
「怒ってるじゃないか、お前さん――ミスカー」

 ミスカーは盛大に溜息をついた。
「………で?」
「で、って何だね?」
「……………何立ち聞きしてんのよ。みんなも」
「立ち聞き?何のことかな?」

 思い切りよく目をそらして、バハルルはとぼけた。
 ミスカーは暫くその様子を白い目で見ていたが、視界の端に、いかにも暇そうにレベックをもてあそぶヤワンを発見し、
「そうだ、バハルル、この人が今さっき歌ってた―――」
言いながら立ち上がろうとして、失敗。
 入り口の辺りにたまっている人々の面白そうな顔を見て、眉をしかめ、追い払う。
 そんな様子を見て、ヤワンがくすくすと笑っていた。
 …やがて、部屋には3人だけが残った。


 年が明けても、バクダットはたいして何も変わらない。活気は(いつもと同じに)溢れんばかり、いつもよりは少し浮かれたような雰囲気がただようかどうか、というところだ。
 〈レグリア〉は興行を始めた。
 後に、バクダットで知らぬ者の無いほどに有名になる2人―――風の舞踊士と仮面の歌い手は、このときはまだ、1度も舞台を踏んでいなかった……。




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