もし―――
その仮定はあまりに無意味なこと。だけど……
もし。あの時。
…今、あの人たちはどこにいるのだろう。
3、目的
千夜一夜(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)316年、次の春の月(ラビー=アッサーニー)―――〈東の大国〉メーウ。
町外れの小さな隊商宿(カーン)から1人の男が出てきた。
暗い金髪と淡い緑の瞳。一目でコラサン人とわかる容貌だ。
男は伸びをしつつふわあぁあと大アクビ。突きぬける透さの青い空を見、
「お」
くるりと振り返って隊商宿の中を覗く。
「おーい、アミナぁ、起きろよ。いーい天気だぞー。アミナー、アミナってば、おーい、起きろーアミナぁ、アミ……」
ばすっ。ものの見事に布の固まりがブチあたった。…顔に。
「…ナ」
最後の声が宙に浮くと同時に、若い女の声が隊商宿から飛んでくる。
「…ゼリム」
怒っていた。相当、怒っていた。
「おまえ、朝からうっさいんだよ。それに外に出るなら頭布(ターバン)巻けっていつも言ってんだろっ!ただでさえ解りやすい外見してんだから」
ゼリムはずるずると顔でキャッチした布の固まりを引き摺り下ろし、
「へいへい」
面倒くさそうに応え、手際良く頭に巻きつける。
「……ったく、良い天気で良いことなんて無いだろっ」
そうぼやきながら、女が1人隊商宿から出てきた。短い猫柳の髪と、感情を映す淡い茶の瞳。名を、アミナという。
ゼリムはまたぼけー…っと空を見ている。
「やっぱさ、こーいうスカッとした空だと気分が浮き立つっていうか、そんな感じのさ、あるじゃん?なぁアミナ」
「無い」
一瞬いじけたゼリムは、雲ひとつ無い空を見上げてこう一言。
「今日は一雨くるな…」
「は?」
アミナは力いっぱい顔をしかめて反論する。
「どこに雲があんの?あ、お前…あたぃをからかってるんじゃないだろね?」
「か、からかってない、ないない」
かくかくと首を横に振るゼリム。
「じゃ、何なのさ?」
「カン」
きっぱり。
「…カン?」
「そう。オレのカン当たるの知ってるだろ?」
ゼリムは妙に嬉しそうに言う。
アミナは冷たい目でゼリムを見て溜息をつき、隊商宿から荷物を出した。
ゼリムが水を飲んでいる間に地図を引っ張り出し、見る。ちまちまと日付と×印が書き込まれている。
「ゼリム、諦めたら?」
ごほごほごほッ…と盛大に咳き込む音が答えだった。少し涙目になってゼリムは言った。
「な、なんっで…そんな、嫌だよ」
「でもさあ、無理だと思うんだよね、見つけんの」
「何で…?」
アミナはずずいと地図を突きつけた。
「はい、よっく見な。×、××××……お前ね、今まで何年間探してると思ってんだい?」
「………何年だっけ?」
「馬鹿っ!4年だろ、よ、ね、んっ。4年探して見つかんないんじゃ、もー無理だね。いや、大体生きてるのか死んでるのか分かんない人探すのが、間違ってるね」
「そんなこと言うなよ〜」
わーっと頭を抱えて、ゼリムは情けない声を出す。
「諦めなって、お前」
「アミナぁ、そんな、オレの夢も希望も打ち砕くよーなことを言うなって……」
「いや、無理。諦めな」
「嫌だ―――…」
力なくそう言って、ゼリムは地にどかっと座った。
「あの人達は、そう簡単に殺されるような人達じゃあ無いんだ……」
アミナはそれを見下ろし、ふふんと鼻で笑った。
「じゃあ、お前の助けなんか必要ないだろ、ええ?」
「……………………でも」
「でも、何だよ」
「…っ、だ、だって」
「だって、だから何だよ」
ゼリムは黙り込んでしまった。かなりへこんでいる。
(ちょっと…言い過ぎたかな)
ちらっとそう思ったが、まぁいい。ゼリムだし。(良くは無い)
こいつが考えたってロクなことにはならない―――そう、アミナは思っている。
すんだ事はすんだ事、忘れてしまえばいいのに、この単純馬鹿はそれができない。
(まぁ、それもこいつのいい所…って言えないこともないか)
ゼリムはまだ悩んでいる。
ゼリムとアミナの関係は幼なじみのクサレ縁である。少なくともアミナはそう思っている。4年前に、故郷を亡くして主を捜しているゼリムに偶然再会してしまったのが、運の尽きだったとも。
ゼリムには主が2人いる。コラサン王家の、双子の王子と姫。乳兄弟でもあるその2人だ。だが、あの4年前、国が滅びた4年前から、誰も姿を見ていない。
もうこの世にはいないのでは、と幾度か考え、その度に打ち消す。
自分があの人達を捜すのは、単なる自己満足だ。それぐらい、アミナに言われなくても分かっている。あの時、自分は国にいなかった。だから、何もできなかった。でも、もしあの時国に居る事ができたら、何か変わったかもしれない。―――その考えが消えない。
「後悔……だらけだ」
昔から、旅から旅の生活だった。放浪癖のある父に連れられて。コラサンに帰るのも数える程しか無かった。それでも主2人ともが本当に大切で、守れる力があるのが嬉しかった。―――――だと、いうのに。
(よく考えたら……ムカついてきた、な)
だいたい、あの時にオレをハメて使いに出したのはあの人だし。
(あ――っ畜生、絶対無事だって分ったら殴ってやる。絶対!)
後悔しかない。諦められるわけが無い。
そう、アミナが何て言ったって……!
「……どうする、ゼリム?」
「…へっ?」
決意した瞬間のオコトバ。ゼリムが気の抜けた声を出したとしても仕方が無い。だろう。
アミナは地図を抱えて、面倒くさそうに溜息をついた。
「次に行く所だよ、馬鹿」
ゼリムは呆然とし…それから、笑った。
「アミナ!」
「何っ……わ!」
「アミナ、おまえ本当、最高だ!」
言いながらゼリムはぎゅううっとアミナを抱きしめて――――
がすっ。
驚きの余りつい一撃でゼリムをのしたアミナは、深呼吸をして急にあがった心拍数を収めようとした。ちらりと原因を見ると、ヤツは呑気に倒れている。
「…………馬鹿」
空は、嫌になるくらい青かった。
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